2008年8月17日日曜日

8/17 Today 高見順忌……高見順と荷風は従兄弟同士、でもお互いに険悪な関係にあった、なぜ?

高見順とは Wikipedia によるとこんな人:
高見順 - Wikipedia: "高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、明治40年(1907年)1月30日 - 昭和40年(1965年)8月17日)は日本の小説家、詩人。福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。阪本釤之助は永井荷風の父方の叔父であり、したがって荷風と高見順は従兄弟同士になるが、それにも拘らず互いに極めて険悪な関係にあった。"



荷風は高見淳が嫌いと言うよりは、まず叔父の阪本釤之助を蛇蝎のごとく嫌っていた。その阪本が「夜伽」をさせて作った子供ということで、ますますどうしようもない嫌悪感を高見順に対して持っていたのであろう。明治時代は前近代的な時代だった。それでも明治後期にはかなり近代化されていたはずだが、それでも県知事が圏内を巡察するときは地元に毎晩「夜伽」を提供させたと言うから、あきれますな〜。可哀想なのはむしろ高見順の方で、父親からは当然認知もされず、わずかな手当だけで極貧生活を送る母親の元で育てられる。苦学して東京帝国大学を卒業する。エライものだ。後に社会主義者となるのも宜なるかなである。

それはともあれ、高見順と永井荷風は、どんな風に険悪だったのだろうか。週刊誌風に下世話話を抜き出してみたのが以下のブログ記事。小生も生まれながらに品性卑しいのである;
Letter from Yochomachi: 〔再録〕荷風と高見順: 今日8月17日は高見順が死ん だ日です(1965.8.17)。高見順は『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで知られるエライ小説家ですが、永井荷風の従兄弟でもありました。なの に二人はまともに口も聞かなかったし、日記でお互いの悪口を散々書きあっています。どういう経緯なのか。とかく人のケンカは面白いので、野次馬根性を出し てみましょう。
特に面白いのが荷風が高見順宛に出した献本に対する「礼状」。 なんと文章の行かえの位置で荷風は相手を軽蔑し、高見順はそれを正しく侮辱と捉え激怒するのです。こういう嫌味の「高等技術」は、今やワープロの時代になってしまい、すたれましたな〜。

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